Liquid AI は MIT からスピンアウトし、生物の神経系を模倣した「液体ニューラルネットワーク(LNN)」の研究を進めてきた。ハサニ氏は、2022年に LNN の数学的閉形式解を初めて導き出したことで、数値ソルバーに依存せず大規模化が可能になったと説明する。この技術は、パラメータ数が少なくても分布外データへの一般化能力が高く、ロボットやドローンなどのエッジデバイスでの実装に適しているという。
MIT CSAIL からスピンアウトした Liquid AI は、10 年以上にわたり研究を続ける創設者ラミン・ハサニ氏らによって、アルゴリズムの小型化と知能の最大化という「効率性」を追求しています。同社は数百万から数億のパラメータを持つ従来の大規模モデルではなく、CPU や NPU などの限られたリソースを持つエッジデバイス上で動作する AI の実現を目指しています。
MIT から生まれた「液体」の神経系と進化の物語
ハサニ氏は生物の神経系にヒントを得て、訓練データにない新しい環境への一般化能力を高める研究を進めてきました。特にロボットやドローンといった実世界で動作するシステムにおいて、従来の大規模モデルでは対応が困難なリソース制約下での AI 運用を実現することを使命としています。
C. elegans から学ぶ:300 個の細胞で成り立つ驚異的な制御力
Liquid AI の研究は、全神経系の構造が解明されていた唯一の動物である線虫「C. elegans」の解析から始まりました。2015 年当時、この生物はわずか 300 個の細胞で驚異的な感覚反応と制御能力を発揮しており、ハサニ氏は当時の最先端ロボットシステムよりも優れた器用な動きが可能であると指摘します。
この生物の神経系ではニューロンがスパイク(発火)せず、電子的なグラデーションで情報をやり取りしている点に着目しました。微分可能な性質を持つため逆伝播法などの学習理論を適用しやすいという利点があり、ハサニ氏は「12 個のニューロンで自動駐車が可能になり、19 個で運転、30 個でドローンの自律飛行を実現できることを発見しました」と語ります。
生物学的なメカニズムを模倣した「液体ニューラルネットワーク(LNN)」は、少ないパラメータ数でも高い性能を発揮し、実世界での適応力を備えています。
2022 年の画期的発見:1907 年以来未知だった閉形式解の導出
LNN の実用化における最大の障壁は計算コストでした。各ニューロンが微分方程式で記述される非線形システムであるため、従来の数値ソルバーに依存すると計算量が立方級(O(n^3))に増大し、スケーラビリティの確保が困難でした。
ハサニ氏は 2022 年、この微分方程式系の「閉形式解」を初めて導出しました。これは 1907 年にルイ・ラピック(Louis Lapicque)が細胞膜電位をモデル化して以来、存在しなかった数学的突破です。
ハサニ氏は「数値ソルバーに依存せず、システム全体を閉形式で解くことで計算効率を劇的に向上させました」と説明します。この発見により、大規模な計算リソースやクラウドへの依存なく、エッジデバイス上で LNN を動作させる道筋が開かれました。これにより、非線形性を犠牲にすることなく、複雑な動的システムを効率的に処理可能になっています。
入力依存性の革新:Mamba や SSM と通じる「ゲート」の力
近年注目されている Mamba や State Space Models(SSM)などのアーキテクチャにも共通する重要な要素が、「入力依存性」です。Liquid AI は、データの変換を固定されたものではなく、入力に応じて動的に変化する仕組み(ゲート機能)を持つことを提唱しています。
ハサニ氏はこの「入力依存のゲート」が学習理論において極めて重要であると解説します。これは単なるパラメータ数の増加ではなく、ネットワークが学習するダイナミクスそのものに柔軟性を持たせるものです。言語モデルや連続時間 RNN においても、この構造を組み合わせることで性能が向上することが確認されています。
ハサニ氏は「入力依存性の存在自体がシステムへのバイアスであり、これが表現力と適応性を飛躍的に高めます」と述べています。
アーキテクチャ以前に:学習パラダイムと進化の視点から考える次世代知能
ハサニ氏は現在の AI 研究における「アーキテクチャ至上主義」に対して警鐘を鳴らします。彼の見解では、次世代の知能を実現するにはまず学習のパラダイム(目的関数やアルゴリズム)そのものの革新が不可欠であり、アーキテクチャはその効率化のために後続する要素に過ぎないと考えます。
ハサニ氏は「人間の脳は 20 ワットで AGI を実現していますが、現在のアルゴリズムではこのエネルギー効率には届きません。これは進化の過程で培われた多様な学習メカニズム(強化学習、ベイズ推論など)によるものです」と指摘します。
現在の AI は「次トークン予測」という単一の目的関数に依存しており、その結果生じた知能は限定的な「創発的性質」に過ぎません。真の汎用性を持つエッジ AI を実現するには人間の脳のように多様な学習アルゴリズムを内包する新しい設計思想が必要であり、アーキテクチャはそのための最適化手段として位置づけられています。
まとめ:エッジデバイスで動く高信頼性 AI の未来へ
Liquid AI が目指すのは大規模データセンターに依存しない、デバイスネイティブな基盤モデルの実現です。数学的閉形式解の発見により計算効率が向上し、生物学的な適応性を模倣したアーキテクチャが、自律走行車やドローンなど環境変化への対応が求められる分野での実用化を可能にします。
ハサニ氏は最後に技術的な最適化だけでなく、好奇心に基づいた研究文化の再構築と学習アルゴリズムそのものの多様化こそが次世代の知能へとつながると強調しています。エッジデバイス上で高信頼性かつ低消費電力で動作する AI はもはや SF の話ではなく、数学的・生物学的な洞察によって現実のものとなりつつあります。
注目した発言
「我々の目標は、より少ないパラメータで、より多くの知能を小さなアルゴリズムに詰め込むことだった。」
「1907 年以来知られていなかった微分方程式系の閉形式解を、2022 年に初めて導き出した。」
「入力依存性のゲート機能こそが、非線形性を保ちながら学習能力を飛躍的に高める鍵である。」
